「女給」とは、大正から昭和初期にかけて急増した「カフェー」や特殊飲食店で客の接待にあたった女性給仕人を指す言葉です。西洋風の飲食店が登場した明治末期、1911年(明治44年)に開店した「カフェー・プランタン」や「カフェー・ライオン」などがその発祥とされています。
当初のカフェーは、知識人や芸術家が珈琲や酒を片手に議論を交わすヨーロッパスタイルのサロンでした。そこで働く女性も、純粋に料理や飲み物をテーブルへ運ぶ「ウェイトレス」に近い役割を担っていました。
風向きが劇的に変わったのは、1923年(大正12年)の関東大震災以降です。復興期の東京を中心に、カフェーは急速に大衆化・歓楽街化し、女給の役割も「給仕」から「客の隣に座って酒を勧め、会話でもてなす対面接客」へとシフトしていきました。女性が自活するための数少ない専門職として、地方からの上京者や自立を志す女性たちがこぞって門を叩いたのです。