1888年2月、パリの喧騒と人間関係に疲弊したゴッホは、陽光あふれる南仏アルルへと移住しました。彼は現地の「黄色い家」を借り受け、前衛的な芸術家たちが互いに刺激し合えるユートピア「南仏アトリエ」の創設を熱望。その記念すべき盟友として迎え入れたのが、当時すでに画家として名声を得つつあったポール・ゴーギャンでした。
同年10月に始まった2人の共同生活は、最初の数週間こそ互いの画風に好影響を与える実りある時間でした。しかし、強烈な個性と芸術観の相違は急速に摩擦を生み、わずか63日間で破綻を迎えます。
1888年12月23日夜、決定的な口論の末にゴーギャンが家を飛び出した直後、ゴッホは剃刀を自らの左耳へと走らせました。翌朝、血まみれのベッドで昏睡状態に陥っていたゴッホは警察に保護され、アルルの市民病院へと緊急搬送されました。