群馬県の県庁所在地はなぜ前橋?高崎との熾烈な誘致合戦と決定打の真相

群馬県の県庁所在地はなぜ前橋?高崎との熾烈な誘致合戦と決定打の真相

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群馬県庁の歴史を語る上で避けて通れないのが、1871年(明治4年)の廃藩置県から始まった度重なる管轄変更と移転劇です。群馬県は一度の決定ですんなりと現在の方形に落ち着いたわけではなく、わずか十数年の間に目まぐるしい統廃合を経験しました。

廃藩置県当初、旧小幡藩や吉井藩などを統合して成立した第1次「群馬県」の県庁は高崎に置かれました。しかし、高崎城跡が兵部省(のちの陸軍東京鎮台高崎分営)に接収されると、執務空間を奪われた県庁は、明治5年に前橋城跡へ仮移転を余儀なくされます。ところが話はこれで終わりません。1873年(明治6年)には入間県(現在の埼玉県の一部など)と合併して広大な「熊谷県」が誕生し、県庁は現在の埼玉県熊谷市へ移されてしまいます。

この混乱に終止符を打ったのが、1876年(明治9年)の第2次「群馬県」成立です。この際、再び高崎に県庁が設置されたものの、敷地の狭さや庁舎の新築をめぐって議論が紛糾しました。高崎側が「交通の中心である以上、黙っていても県庁は動かない」と油断を見せていた間隙を縫い、前橋側は官民一体となって陳情団を結成。1881年(明治14年)2月、太政官布告によって前橋への県庁再移転が正式認可され、半世紀に及ぶ移転論争に完全な終止符が打たれました。

吉田 誠
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吉田 誠

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