法政大学野球部の歴史は、日本野球界の歴史そのものと言っても過言ではありません。古くは「法政三羽烏」と称された田淵幸一、山本浩二、富田勝をはじめ、昭和の怪物・江川卓、首位打者を獲得した小早川毅彦、日本ハムの監督も務めた稲葉篤紀、阪神タイガースを率いた矢野燿大など、球史に名を刻むレジェンドを数多く輩出してきました。
平成から令和にかけてもその系譜は途絶えることなく、三嶋一輝、石田健大、鈴木昭汰、三浦銀二、そして近年の上位指名選手たちに至るまで、プロ野球の一軍舞台で即戦力として活躍する好投手を安定して供給し続けています。
しかし、その栄光の裏には常に「早稲田・明治との激しい覇権争い」と「優勝から遠ざかる苦闘の時期」が存在しました。他大学からの徹底的な研究や、スター軍団ゆえのチームの結束の難しさに直面した時期もありましたが、そのたびに組織の再構築を図り、通算46回のリーグ優勝を積み上げてきたのです。