日露戦争の英雄として国民的賛辞を浴びた真之でしたが、海戦後の後半生は深い精神的苦悩と体調不良に苛まれることになります。一体なぜ、極めて合理的・論理的な思考の持ち主であった天才参謀が、晩年に心霊研究や新興宗教、易学へと傾倒していったのでしょうか。
当時の書簡や近親者の回顧録によると、最大の要因は「自らの作戦によって夥しい人命を奪ったことに対する激しい罪悪感」でした。日本海海戦ではロシア側だけで5,000人近い戦死者を出し、旅順港閉塞作戦では自ら志願させた親友の広瀬武夫をはじめとする多くの部下を死地へと送り込みました。現代の精神医学・心理学でいう「重度のサバイバーズ・ギルト(生き残り罪悪感)」および「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」に陥っていたと考えられます。
真之は仏教の経典を読み漁り、神道や大本教の出口王仁三郎、霊友会の前身となる霊術運動、さらには易経や心霊現象の研究に救いを求めました。「人間の知略など所詮は微々たるもの。勝敗を決するのは目に見えない霊的・宇宙的調和である」と語るようになり、自宅に祭壇を設けて日夜祈りを捧げる日々を送ったのです。
そして1918年(大正7年)2月4日、真之は山下汽船の創業者・山下亀三郎の神奈川県小田原の別邸(対潮閣)にて、「急性腹膜炎(盲腸炎の悪化・穿孔)」により49歳の若さで息を引き取りました。長年の過度の精神疲労と暴飲暴食・不規則な生活習慣が内臓に致命的な負担をかけていたと伝えられています。