六代目円楽の毒舌に秘めた愛|桂歌丸との絆と高座に捧げた最期の真相

六代目円楽の毒舌に秘めた愛|桂歌丸との絆と高座に捧げた最期の真相

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六代目三遊亭円楽は、1950年2月8日、東京都墨田区向島に生まれました。本名は會泰通(あい・やすみち)。下町情緒と粋が色濃く残る環境で育った彼は、東京都立本所高等学校を経て、名門・青山学院大学法学部へ進学します。在学中の1970年、学生運動の熱気が漂う時代背景のなかで運命的な出会いを果たしたのが、後に五代目三遊亭圓楽となる師匠でした。

入門後、前座名「三遊亭楽太郎」を名乗った彼は、端正な顔立ちと怜悧な頭脳、そして明晰な語り口で頭角を現します。1977年には、わずか27歳という若さで『笑点』の大喜利レギュラーメンバーに大抜擢されました。当時の演芸界では大学出身の落語家は珍しく、インテリジェンスと大衆性を兼ね備えた芸風は、瞬く間に全国の視聴者を虜にしました。1981年に真打へ昇進して以降も、テレビタレントとしての顔と高座での古典落語の追求という二刀流を確立していきます。

大きな転機が訪れたのは2010年3月です。偉大なる師匠の名跡を継ぐ六代目三遊亭円楽の襲名は、単なる名代の継承にとどまりませんでした。当時、分裂状態にあった落語界の諸派(落語協会、落語芸術協会、円楽一門会、落語立川流)の垣根を越え、東西の噺家が一堂に会する「博多・天神落語まつり」のプロデュースを手がけるなど、プロデューサーとしての剛腕を遺憾なく発揮します。襲名の経緯には、先代の看板を背負う重圧と戦いながら、落語という古典芸能を21世紀のエンターテインメントとして延命させるという、明確な経営感覚が息づいていました。

石川 優花
著者

石川 優花

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。