原美穂さんは1967年9月17日生まれ、広島県出身です。広島修道大学を卒業後、地元企業で働いていた彼女が夫となる原晋監督と出会ったのは20代半ばのことでした。当時の原晋監督は、名門・中国電力陸上競技部の第1期生として将来を嘱望されていたトップランナー。共通の知人を介した食事会が二人の出会いのきっかけでした。
しかし、交際を深める中で予期せぬ転機が訪れます。原晋監督がアキレス腱を断裂する重傷を負い、27歳の若さで現役引退を余儀なくされたのです。アスリートとしての未来を絶たれた原晋監督は、陸上部のない一般営業マンとして再スタートを切ることになり、その苦難の最中の1995年に二人は結婚しました。
営業職に不慣れだった原監督は当初、多額の営業赤字を出して社内でも厳しい立場に立たされました。家計のやりくりに奔走しながら、落ち込む夫を前向きなユーモアと広島弁の率直な言葉で励まし続けたのが美穂さんでした。やがて原監督は社内の省エネ機器(エコキュート)販売で全国屈指のトップセールスマンへと大化けを果たしますが、その粘り強さは美穂さんの献身的な支えがあってこそ培われたものです。
そして2003年末、中国電力で安定した地位を築いていた夫から突然、「母校でもない青山学院大学の陸上部監督オファーが来た。東京へ行きたい」と告げられます。美穂さんは当時の心境を自著や特番インタビューで「青天の霹靂どころではなく、最初は冗談だと思って猛反対した」と赤裸々に語っています。それでも陸上への情熱を捨てきれない夫の目を前に、「やるからには後悔のないように」と退職届を提出させ、縁もゆかりもない東京都町田市へ移住する決断を下しました。
なお、ネット上でたびたび話題にのぼる「原美穂 若い頃 画像」の検索熱の高さは、テレビ出演時に公開される当時のポートレートがきっかけです。爽やかで清楚な佇まいと意志の強さを感じさせる目元に、SNS上では「原監督が一目惚れしたのも頷ける」「昭和〜平成の美人そのもの」と称賛の声が上がっています。