Q1:昭和天皇と香淳皇后の馴れ初めは完全な恋愛結婚だったのですか?
A1:近代皇室の慣例に従った「見合い・候補選定」の形をとっていましたが、昭和天皇ご自身が拝賀の儀などで見かけた良子女王(香淳皇后)の人柄や気品に強い好感を抱き、「良子でよい」と明確に意思を示されました。政略的な要素が強かった当時の宮中において、実質的な当事者同士の強い意思と情愛に基づいた結婚であったと言えます。
Q2:側室の導入を迫られた際、昭和天皇はなぜ断ることができたのですか?
A2:昭和天皇が幼少期から学んだ近代的な法治主義やキリスト教圏の道徳観(一夫一婦制)への理解が深かったこと、そして何より香淳皇后を精神的に深く愛し、傷つけることを嫌ったためです。女子が4人続いた際、宮中長老や元老・西園寺公望からの進言を受けましたが、「人倫にもとる」として一貫して退け、その後無事に男子(上皇陛下、常陸宮殿下)が誕生しました。
Q3:ネットで話題になる「宮中某重大事件」とは何ですか?
A3:大正時代末期、良子女王(香淳皇后)の母方の家系に色盲(色弱)の遺伝があるとして、長州派の領袖・山県有朋らが婚約の解消を迫った事件です。久邇宮家の激しい反発や右翼・世論の介入により国を二分する騒動となりましたが、裕仁皇太子(昭和天皇)の「初志貫徹」の姿勢と貞明皇后の英断により、最終的に予定通り成婚が実現しました。
Q4:昭和天皇と香淳皇后のお子様は何人いらっしゃいますか?
A4:2男5女の計7人のお子様がいらっしゃいました。長女の成子内親王から四女の厚子内親王まで4人の女子が続き(次女の久宮祐子内親王は夭折)、その後に第5子として継宮明仁親王(現上皇陛下)、第6子として義宮正仁親王(常陸宮殿下)、第7子として清宮貴子内親王が誕生されました。