竹久夢二の膨大な作品群の中で、誰もが認める最高傑作として燦然と輝くのが『黒船屋』です。黒い衣装をまとった女性がしなやかな黒猫を胸に抱き、虚ろな視線を投げかけるこの構図は、夢二の芸術的頂点を示す作品として知られています。
この名作が描かれた背景には、夢二が生涯で最も深く愛したとされる女性、笠井彦乃(かさい ひこの)との悲劇的な恋愛関係が存在します。日本橋の紙問屋の令嬢であった彦乃と夢二は激しい恋に落ちますが、父親の猛反対を受け、引き裂かれるような逃避行を続けました。しかし彦乃は若くして結核を発病し、京都の病院に隔離された後、わずか23歳の若さでこの世を去ります。
『黒船屋』に描かれた女性のモデルは、彦乃への断ち切れぬ想いを投影した姿とされ、腕の中で暴れることなく抱かれる黒猫は、夢二自身の化身とも解釈されています。女性の妖艶な美しさと、死の影が忍び寄る張り詰めた空気感――。個人的な情念を純度の高い芸術へと昇華させた点こそが、本作が傑作と称される最大の理由です。