バンドが絶頂期を迎えていた1991年、激震が走る。寺田恵子のSHOW-YA脱退のニュースだ。「限界LOVERS」や「私は嵐」などの大ヒットでトップアーティストの仲間入りを果たしていただけに、音楽関係者やファンに与えた衝撃は図り知れなかった。
脱退の背景にあったのは、過密スケジュールによる心身の疲弊と、バンドが求めるロック像と自身が表現したい音楽性とのズレだった。過剰なまでに強烈な「ロックの女王」というパブリックイメージに自らが押しつぶされそうになっていたという。
ソロ活動へ移行した1990年代以降、彼女はアコースティックなアプローチや多様なボーカルスタイルに挑戦。ハードロックの鎧を一度脱ぎ捨て、一人のシンガーとして自らの声に向き合う30代を過ごした。この充電と模索の時期があったからこそ、彼女の声にはさらなる深みとツヤが加わっていくこととなる。