旧日本軍の兵器を語る際、必ずと言ってよいほど嘲笑交じりに言及されるのが「軽機関銃に着剣装置が備えられていた理由」です。「重量10kgを超える重い機関銃に刃物を着けて突撃するなど、精神主義の極致ではないか」という批判は、現代のネット言説でも頻繁に見受けられます。
しかし、当時の日本陸軍の編制規程や実戦マニュアルである『歩兵操典』を紐解くと、この着剣機構は狂気どころか、極限の資源制約下で戦う現場の歩兵戦術に根ざした極めて冷徹な防衛策であったことが分かります。
当時の日本軍の歩兵1個分隊(約13名前後)は、軽機関銃を運用する「機関銃班(銃手、装填手、弾薬手)」と、小銃で戦闘を行う「小銃班」で構成されていました。この最小単位において、軽機関銃は分隊の攻撃力の要であると同時に、敵にとっても最優先の撃破目標でした。陣地防衛において弾薬が尽きた場合、あるいは夜間奇襲(夜襲)を敢行する際、軍律により「発砲による位置露見の防止」が厳命される局面が多々存在しました。
そのような混沌とした白兵戦において、銃手だけが武器を持たずに無力化することは許されません。九九式軽機関銃は、銃身そのものではなくガスピストン(ガスシリンダー)の強固なフレーム下部に着剣ラグが配置されており、三十年式銃剣を装着した際にも銃身の射撃精度に狂いが生じないよう入念に計算されていました。
重量10kgの鉄塊の先端に長さ50cmを超える銃剣が備わった姿は、突入された敵兵に対して強烈な威嚇力を発揮しました。実際にガダルカナルや硫黄島の手記には、「残弾が尽き、米兵がタコツボに飛び込んできた瞬間に軽機を槍のように突き出して難を逃れた」という銃手の生々しい証言が残されています。機関銃を着剣して走り回るのではなく、「万が一の近接防空・自衛用パイク」としてのバックアップ機能だったというのが、歴史資料が示す客観的な真実です。