北斎のキャリアは、勝川派の巨匠・勝川春章への入門から始まった。弱冠20歳ほどで「勝川春朗」の名を与えられ、絵師としての第一歩を踏み出している。
役者絵で頭角を現した春朗だったが、彼の溢れ出る探求心はひとつの流派に収まりきらなかった。勝川派の教えを守るだけでなく、密かに狩野派や土佐派、さらには西洋画の遠近法まで貪欲に吸収した。これが師匠や同門の逆鱗に触れ、破門へと繋がったと伝えられる。
しかし、彼は立ち止まらなかった。春朗の名を捨てた後は「宗理」「戴斗」など次々と名を変え、画風を劇的に変化させていく。伝統的な浮世絵の枠組みを自らぶち壊し、風景画という新たなジャンルを切り拓く原動力となったのは、一門の看板に頼らない孤高の姿勢だった。