当時の芸能界において、人気絶頂期にある二人の結婚は極めて異例だった。大手芸能事務所である研音に所属し、それぞれの分野でトップランナーとして走っていた矢先の電撃会見。結婚と同時に明かされた絢香のバセドウ病療養と、それを全面的に支える水嶋ヒロの決意は、日本中に大きな衝撃を与えた。
その後、二人は研音を退所し、自らの足で歩む道を選択する。設立された自社レーベル兼所属事務所「A st station」は、外部の思惑に振り回されることなく、音楽制作や家族との時間を最優先にするための大切な拠点となった。事務所主導のキャリア形成から脱却し、自分たちのライフスタイルに合わせた活動形態を確立したこの決断は、後のアーティストの働き方にも多大な影響を与えている。