三公社五現業を語る上で避けて通れないのが、激しい労使対立の歴史です。かつて三公社五現業の職員は、一般の国家公務員とは異なり、労働組合の結成権や団体交渉権が認められていましたが、争議権(ストライキ権)は法律で厳しく禁止されていました。これを規定していたのが三公社五現業労働関係法(公労法)です。
公共インフラが停止すれば国民生活や経済活動に致命的な打撃を与えるという理由からストライキが禁じられていたものの、国労(国鉄労働組合)や動労(動力車操縦者労働組合)などの強力な組合組織は、スト権の奪還を掲げて激しい法外闘争を繰り返しました。
その頂点となったのが、1975年11月26日から8日間にわたって強行された「スト権スト(スト権奪還スト)」です。国鉄の主要路線が192時間にわたって完全に麻痺し、運休本数は約4万本、影響を受けた利用者は延べ1億5,000万人に上りました。通勤通学の足を奪われた国民の怒りは沸点に達し、当時の新聞各紙には「国民生活へのテロリズム」「暴走する組合」といった激しい批判の見出しが躍りました。
当時の国鉄職員の手記や回顧録には、「現場では順法闘争と称して故意に列車を遅延させ、職場規律は完全に崩壊していた」「上司の指示に組合員が従わず、勤務時間中の組合活動が常態化していた」という異常な現場の実態が生々しく記録されています。このような「親方日の丸」体質とモラルハザードが世論の徹底的な反発を招き、結果として中曽根内閣による分割民営化の断行を強力に後押しする決定打となりました。