クールスの名を全国区へと押し上げた決定的な契機が、1975年4月13日に日比谷野外音楽堂で開催された「キャロル解散コンサート」です。矢沢永吉からの直々のオファーを受け、クールスは会場の親衛隊およびガードマンを担当しました。
この歴史的ステージでは、興奮したファンがステージに押し寄せ、終盤には特殊効果の爆竹から引火してステージが炎上するという前代未聞のアクシデントが発生しました。会場内では警備を担当するクールスと押し寄せる観客との間で激しい小競り合いが勃発し、これが後に「キャロル対クールスの大乱闘」といった誤った噂として流布することになります。
しかし、実際の記録および関係者の証言によれば、クールスは「暴徒化しかけた群衆からキャロルのメンバーを命がけで守り抜いた」というのが真実です。この警備での圧倒的な存在感がレコード会社関係者の目に留まり、後のバンド結成・メジャーデビュー(矢沢永吉が「五大洋光」名義で楽曲提供した『紫のハイウェイ』)へと繋がっていきました。