福沢諭吉の私生活を語る上で欠かせないのが、1861年(文久元年)に結婚した妻・お錦(おきん、旧姓:お錦・中津藩士のお鳥)の存在です。武家の娘として育ったお錦は控えめながら芯の強い女性で、諭吉が幕末の動乱期に命を狙われ、いつ帰らぬ人になってもおかしくない過酷な環境を常に冷静に支え続けました。
当時の家庭環境において、諭吉が見せた妻への接し方は現代の感覚で見ても驚くほど先進的でした。以下のような具体的なエピソードが残されています。
- 家庭内暴力・怒声の完全禁止:諭吉は「家庭内で大声をあげたり、妻を威圧したりすることは人間として最も恥ずべき行為である」と公言し、一度も妻に手を上げたり理不尽に怒鳴ったりすることがありませんでした。
- 子育てと家事への積極的参加:4男5女、計9人の子宝に恵まれた諭吉は、子どもが病気になれば自ら徹夜で看病し、お粥を炊き、オムツを替えるなど、当時の武士階級出身者としてはあり得ないほど献身的に家事・育児へ関わりました。
- 客人の前でも妻を尊重:明治期の男性は来客の前で妻を「愚妻」と蔑むのが常識でしたが、諭吉は対等な共同経営者・人生の伴侶として紹介し、妻の判断や意見を重んじました。
世間からは「福沢は妻に頭が上がらない恐妻家だ」と揶揄されることもありましたが、諭吉自身はそれを笑い飛ばし、「恐れているのではなく、一人の独立した人間として敬っているのだ」と語っていたと伝えられています。