天然理心流は本当に実戦最強か?新選組を鍛えた木刀の謎と現在の道場

天然理心流は本当に実戦最強か?新選組を鍛えた木刀の謎と現在の道場

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幕末の動乱期、京都の治安維持を担った新選組の太刀筋は、京洛の志士たちから極限の恐怖をもって語られました。新選組の試衛館派生メンバーが実戦で異常な強さを発揮した最大の理由は、天然理心流が「竹刀稽古のポイント制」に最適化された都会の道場剣術とは一線を画していたからです。

江戸末期、多くの大名家や有名道場で主流となっていたのは、防具を着けて竹刀で打突を競う「撃剣」でした。軽快なフットワークとスピードが尊ばれる一方、実際の真剣勝負で生じる「骨に刃が食い込む感触」「鍔迫り合いからの組討ち」「刃こぼれによる殺傷力の低下」といった泥臭い現実への対策は軽視されがちでした。しかし、天然理心流が生まれた背景は全く異なります。

寛政年間(1789年頃)に初代・近藤内蔵之助によって創始された天然理心流は、天領(幕府直轄地)であった武蔵国多摩郡(現在の東京都日野市や八王子市周辺)の豪農名主層に広く受け入れられました。当時、治安が悪化していた多摩地域では、盗賊や無頼漢から自らの家財と命を守る「自衛武装」が死活問題でした。華麗な型やスポーツ的な勝敗ではなく、「襲撃されたときに相手を確実に無力化し、自らは生き延びる」という極限の生存要求が、流派の設計思想そのものに刻み込まれていたのです。

元新選組隊士の永倉新八が後年に語った『新選組顛末記』や当時の京都町奉行所の記録を精査すると、池田屋事件の狭い屋内で起きた戦闘の凄惨さが伝わります。薄暗く天井の低い町家では、大上段に刀を振りかぶる空間などありません。刀の切っ先を相手の喉元につけたまま前進し、間合いが詰まれば即座に体当たりで体勢を崩し、倒れた相手を短刀や鍔打ちで仕留める――。こうした乱戦の現場において、近藤勇の天然理心流が培った「泥臭い実戦力」は、美麗な構えを誇る他流派の志士たちを圧倒する決定打となったのです。

渡辺 美咲
著者

渡辺 美咲

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。