ざるそばがもりそばの上位互換として君臨できた最大の理由は、器以上に「つゆ」の決定的な格差にありました。伝統的な江戸前蕎麦において、そばつゆと返しの違いは味の骨格を決定づけます。かえし(醤油・砂糖・みりんを加熱・熟成させたタレ)に出汁を合わせる比率は、両者で全く異なっていました。
みりんと一番出汁の配合において、職人は明確な線引きを行っていました。江戸時代の庶民にとって、高級甘味料であった本みりんは極めて高価な素材でした。もりそばのつゆ(もりつゆ)には、醤油と砂糖を主体にした辛口の「生返し(加熱を抑えて醤油感を際立たせる製法)」や、二番出汁を合わせたパンチのある濃厚なつゆが使われました。醤油のエッジを効かせ、蕎麦の端を少し浸すだけで勢いよく手繰るのが江戸っ子の流儀だったためです。
一方、プレミアム仕様であるざるそばのつゆ(ざるつゆ)には、火入れをして長期間寝かせたまろやかな「本返し」をベースに、贅沢な本みりんがふんだんに加えられました。さらに合わせる出汁も、厳選された鰹節の「一番出汁」のみを贅沢に使用。アルコール分を飛ばした本みりん由来の艶やかな照りと深いコク、一番出汁の華やかな香りが合わさることで、口当たりの柔らかい極上の甘口つゆに仕立てられていたのです。当時の客は、海苔の風味を楽しむためではなく、この「みりんと一番出汁が織りなす極上のざるつゆ」を味わうために追加の代金を支払っていました。