三乱が勃発した根本的な原因は、権力の二重構造と恩賞に対する不満にあります。
保元の乱は、鳥羽法皇の崩御を契機とした天皇家と藤原摂関家の内部対立でした。肉親同士が敵味方に分かれて争い、勝利した後白河天皇側についた武士が武功を挙げたものの、恩賞の格差から平清盛が重用され、源義朝は冷遇されました。この不満がわずか3年後の平治の乱へと直結します。
平治の乱で源氏を壊滅に追い込んだ平氏は初の武家政権を樹立しますが、貴族化し専横を極めた平家は源頼朝や足利氏ら東国武士の反発を招き、やがて治承・寿永の乱(源平合戦)で滅亡します。そして成立した鎌倉幕府に対し、失墜した皇権を取り戻そうと後鳥羽上皇が仕掛けた最終決戦が承久の乱です。結果として朝廷の権威は失墜し、武士の優位が決定づけられました。