1983年後半から1984年にかけて、中森明菜の水着姿は雑誌のグラビアから完全に姿を消しました。なぜ人気絶頂の渦中にあったトップアイドルが、異例ともいえる「水着NG」を貫くことができたのでしょうか。
その背景には、本人の強い自己決定権と所属事務所(研音)の英断が存在します。中森明菜は衣装デザインから振り付け、ジャケット写真に至るまで自らアイデアを出し、自らのアーティスト像を能動的に創り上げる稀有な才能を発揮し始めていました。『1/2の神話』『禁区』、そして名曲『十戒 (1984)』へと至る過程で、「肌を露出して男性目線に媚びる必要はない。歌そのもので勝負する」という方針が完全に固まったのです。
事務所側も彼女の持つ圧倒的な歌唱力と表現力を信じ、短絡的なグラビア人気に依存しない「本物のボーカリスト」としてのブランディングを選択しました。こうして彼女の水着姿は、わずか2年足らずの活動初期のみで完全に封印されることとなったのです。