日本国内で「阿含」と「金剛」という言葉が結びついて語られる背景には、昭和後期から平成・令和へと続く新宗教運動、とりわけ阿含宗の開宗と教理展開の経緯が深く関わっています。
阿含宗の開祖である桐山靖雄氏は、1970年代後半に従来の観音慈恵会から教団を改変する際、「釈尊が唯一直接説いた『阿含経』こそが根本仏教である」と提唱しました。それまで日本の伝統仏教界で軽視されがちだった阿含経にスポットを当てた功績は宗教学上も記録されています。
しかし、同教団の教義上の特徴は、阿含経の瞑想法(七科三十七道品)を基礎に据えながらも、儀礼においては「金剛界・胎蔵界の密教修法」や「柴燈護摩(さいとうごま)」などの密教的呪術儀礼を全面に押し出した点にありました。教団史や当時の出版物では、「阿含の解脱法なくして密教の即身成仏は完成しない」「根本仏教と金剛界密教の完全なる結合」が強く主張されたのです。
この独自のハイブリッド体系がメディアを通じて広く喧伝された結果、一般層の間で「阿含経の中に金剛界の秘法が含まれているのではないか」「金剛阿含という特別な秘伝が存在するのではないか」という認知が定着していった経緯があります。