1869年(明治2年)、版籍奉還に伴い公家と諸侯が統合され「華族」と改称された。旧来の複雑な家格や石高による格差を解消し、中央集権体制を強固にする政治的意図がそこには込められていた。当初は公家華族と大名華族の間で資産や慣習の違いから摩擦が生じることもあったが、明治政府は段階的に身分秩序の標準化を進めた。
華族の身分制度は、1884年(明治17年)の華族令公布によって完成を見る。欧州の爵位制度を参考に、公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の5爵が制定された。これにより、旧公家や旧大名のみならず、維新の元勲や軍人、技術者など国家に寄与した新興の「勲功華族」が数多く誕生し、社会の流動性とエリート層の再編が同時に達成されたのである。