なぜそのマンションは、街の住人や不動産業界関係者から「ヤクザマンション」という禍々しい通称で呼ばれるようになったのか。その発端は、バブル経済期から平成初期にかけての歌舞伎町の権力構造に直結しています。当時、歓楽街の利権やみかじめ料、非合法ビジネスを統括する拠点として、指定暴力団の二次団体・三次団体が利便性の高い都心マンションの一室を次々と買い取り、あるいは賃貸契約を結んで拠点化していきました。
歌舞伎町ヤクザマンションの噂の真相を取材すると、最盛期には同一棟の中に10〜20団体を超える組事務所や関連企業が同居していたという驚くべき記録が残されています。エントランスには高級外車が横付けされ、特定のフロアには組の代紋を掲げた部屋や、銃撃・手榴弾の投げ込みを警戒して防弾仕様の鉄扉に付け替えた異様な住戸が連なっていました。一般の住民がエレベーターに乗り合わせると、凄みのある男たちに無言で取り囲まれるといった光景が日常茶飯事であり、警察の家宅捜索が入るたびに機動隊の警備車両が周囲を完全封鎖する光景は、当時の歌舞伎町における日常の風景でした。