岸信介の生涯を検証する上で避けて通れないのが、新宗教団体「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」およびその政治組織である「国際勝共連合」との関係です。
1960年代後半、学生運動や左派勢力の伸長に強い危機感を抱いていた岸は、文鮮明が提唱する徹底した反共産主義思想に共鳴。1968年に日本で結成された国際勝共連合の創設を陰ながら支援し、自民党内の親米・反共派議員と教団関係者を結びつけるパイプ役を担いました。当時の東西冷戦下における「反共」という共通利害に基づいた政治的連携でしたが、この関係性が数十年にわたり保守政界に温存され、現代の政界を揺るがす深刻な社会問題の遠因となったことは否定できません。
首相退陣後も自民党最高顧問としてキングメーカーの影響力を保ち続けた岸は、晩年を静岡県御殿場市の邸宅などで過ごし、1987年(昭和62年)8月7日、東京医科大学病院にて多臓器不全のため89歳で死去しました。明治、大正、昭和の激動を最前線で駆け抜けた巨星の最期でした。