ネット上の掲示板やSNSでは、長年にわたり「高杢禎彦=バンドを壊した裏切り者」「暴露本で金儲けを企んだ」といった一方的なバッシングが散見されます。しかし、当時の一次資料や出版業界の背景を冷静に精査すると、そこにはネット言論特有の短絡的な歪みが存在していることが分かります。
まず第1の盲点は、高杢氏が『愚者よ』を執筆した動機です。出版当時、高杢氏は自らの胃がんが生存率極めて低い状態であることを自覚していました。「自分がこのまま世を去れば、チェッカーズの本当の姿や、自分がグループに捧げた青春の真実が闇に葬られる」という強い焦燥感があったことは見落とせません。商業的な利得よりも、死に直面した人間特有の「承認欲求と自己弁護の吐露」であった側面が極めて強いのです。
第2の盲点は、鶴久政治氏との共闘関係に関する誤解です。一部では「高杢と鶴久が結託してフミヤに対抗した」と捉えられがちですが、実際には二人のスタンスは大きく異なっていました。鶴久氏は数々のヒット曲を生み出した作曲家としてのプライドを持ちつつも、フミヤ氏との全面戦争は望んでいませんでした。徳永氏の送る会において高杢氏と行動を共にしたことで一括りに批判を浴びましたが、鶴久氏自身は後年、音楽活動を通じて静かに自らの存在意義を証明する道を選んでいます。