PL学園の台頭と衰退は、母体であるパーフェクトリバティー教団の歴史と完全に表裏一体です。大正期に立教された「ひとのみち教団」を源流とし、戦後の1946年に御木徳近(みき とくちか)三代教祖によってパーフェクトリバティー教団として再興されました。「人生は芸術である」という明快な処世信条を掲げ、個人の自己表現やスポーツ、芸術活動を信仰の実践として肯定する教義は、戦後復興期の日本社会に爆発的な勢いで浸透していきました。
富田林市の大規模な丘陵地を開発して築かれた「大本庁」には、ゴルフ場、病院、広大な聖地施設が立ち並び、教団は昭和30年代から50年代にかけて莫大な信者献金と強大な資金力を誇りました。徳近教祖はスポーツを通じた青少年の育成と教団の宣伝を重視し、PL学園高校に惜しみない財政支援を投入。全国から有望な中学生スカウトを集め、専用グラウンドや充実した寮施設を整えることで、短期間で高校球界の覇権を握る礎を築いたのです。
しかし、1980年に徳近教祖が逝去し、御木貴日止四代教祖へ代替わりした頃から徐々に潮目が変わり始めます。新宗教全体の信者高齢化が進むとともに、昭和特有の熱烈な組織結束力は減退。2020年に貴日止教祖が逝去した後は指導部体制をめぐる動向が注視されてきましたが、教団の財政基盤はかつてのような拡大路線を維持できず、保有資産の圧縮や維持管理コストの抜本的な見直しを余儀なくされています。