かつてフランスへ嫁いだ際、熱狂的な歓声で迎えられた王妃が、なぜこれほどまでに憎悪の対象へと堕ちてしまったのか。その転換点となったのが、1785年に発覚した希代の詐欺劇、首飾り事件の真相です。約160万リーブル(現在の貨幣価値で数十億円相当)という超高額なダイヤモンドの首飾りを、王妃の名を騙った詐欺師ジャンヌ・ド・ラ・モット伯爵夫人が Cardinal de Rohan(ロアン枢機卿)を騙して詐取したこの事件において、司法の審理によって王妃自身は完全に無関係であると証明されました。
しかし、重税にあえぐ当時の庶民感情は客観的事実を受け入れませんでした。「赤字夫人(マダム・デフィシット)」という不名誉なあだ名が定着し、根拠のない中傷パンフレットが街中にばら撒かれ、王妃は国家を衰退させる元凶として仕立て上げられていきます。民衆の心の中では、「真実が無罪であるかどうか」ではなく「あのような途方もない贅沢を欲しがりそうな傲慢な女」という記号化された悪女像が完成してしまったのです。
そして民衆の怒りを決定的なものにしたのが、1791年6月のヴァレンヌ逃亡事件 経緯でした。革命の進展により軟禁状態に置かれていた国王一家は、オーストリア軍の支援を取り付けて王権を奪還すべく、パリ脱出を決行します。しかし、大型馬車による鈍重な移動や計画の不備が重なり、国境手前の小村ヴァレンヌで身元が露見。一家は激怒する群衆に包囲され、屈辱のうちにパリへ連れ戻されました。祖国を裏切り、外国軍の武力で自国民を制圧しようとしたこの行動は、国民の国王一家に対する最後の情愛と信頼を完全に粉砕する致命打となったのです。