国分太一さんの原点を語る上で欠かせないのが、1980年代後半から1990年代初頭にかけての過渡期です。当時、社会現象を巻き起こしていた光GENJIのバックダンサーとして結成されたのが、伝説のユニット「平家派(へいけは)」でした。
平家派には、後にTOKIOとなる城島茂さんや山口達也さん、V6の坂本昌行さん、長野博さん、井ノ原快彦さんらが所属しており、国分さんもその中核メンバーとしてキレのあるダンスを披露していました。当時のアイドル誌『Myojo』や『ポポロ』のバックナンバーを振り返ると、剣道着風の衣装や当時の流行であった短ラン姿の国分さんは、切れ長で涼しげな目元が際立つ美少年として、早くから熱心なファンの視線を集めていました。
また、ネット上で度々話題になる「国分太一はSMAPのメンバーだったのか?」という噂ですが、これには明確な史実があります。国分さんはSMAPの前身グループである「スケートボーイズ」のメンバーとして活動していた時期があり、SMAP結成初期のステージでもサポートメンバーとしてキーボードを演奏していました。
当時のインタビューや回顧録によると、国分さんはジャニー喜多川氏から「太一、キーボードできる?」と唐突に尋ねられ、弾けもしないのに「できます!」と答えたことがきっかけでキーボード担当になったという逸話が残されています。そこから猛特訓を重ね、後にTOKIOのメインコンポーザーとしても活躍する音楽的バックボーンを築き上げたのです。