王騎軍がなぜ中華最強の軍団と恐れられたのか。その理由は、単に王騎自身の武勇が優れていたからだけではありません。最大の要因は、「個々の兵士が自立した将軍の眼線を持っていること」と「王騎への絶対的陶酔と誇り」にあります。
馬陽の戦い(対趙国戦)において、王騎軍の本隊はわずか数万の兵力でありながら、圧倒的多数の趙軍本隊を正面から押し潰すほどの士気を誇りました。各軍長が独自の判断で局面を動かし、王騎の細かな指示を待たずとも連携できる柔軟な戦術眼が組織全体に染み渡っていたのです。
しかし、馬陽の戦いにおける勝敗の経緯は過酷を極めました。趙国の天才軍師・李牧が敷いた「情報封鎖」と圧倒的伏兵の前に包囲され、武神・龐煖(ほうけん)との一騎打ちの最中、趙軍の弓兵・魏加による不意打ちの矢が王騎の背を貫きます。致命傷を負いながらも敵包囲網を突破した王騎の姿は、王騎軍の全将兵に「不滅の誇り」を刻み込みました。