渥美清にとって事実上の映画遺作となったのが、1995年12月に公開されたシリーズ第48作『男はつらいよ 寅次郎紅の花』です。この作品の撮影現場は、スタッフにとって息を呑むような緊張と悲痛な覚悟の連続でした。
すでに歩行すら覚束ないほど体力が衰弱していた渥美清のために、盟友・山田洋次監督は脚本を大幅に改訂しました。物語の主軸を満男(吉岡秀隆)と泉(後藤久美子)の恋愛へとシフトさせ、寅次郎が画面に登場する場面では「机に寄りかかる」「車椅子を模した椅子に腰掛ける」「長時間の歩行を伴わない立ち位置にする」といった徹底的な配慮が施されたのです。
特筆すべきは、同年1月に発生した阪神・淡路大震災の被災地・神戸市長田区でのロケでした。被災者たちを励ます場面の撮影で、渥美清は焼け野原となった現場に立ち、燦々と照りつける日差しの下で「みなさん、ご苦労様でした」と声を張り上げました。後年、山田監督は手記や追悼番組でこう述懐しています。
「あのときの渥美さんは、カメラが回る直前まで車の中で横になり、脂汗を流していた。しかし『本番!』の声がかかると、まるで何事もなかったかのように寅さんの顔になって歩き出す。あれは演技を超えた、命を削る儀式のようなものだった」
完成した第48作の試写を見た渥美清は、自身の痩せこけた姿と衰えた声を痛感し、山田監督に「もうこれで寅さんはやめにしてくれ」と静かに告げたと伝えられています。それが、27年間にわたって日本中を笑わせ、泣かせ続けた寅さんとの永遠の別れの合図でした。