ネット上の掲示板やSNSでは、時折「かつてのアイドルが人気低下を機に脱いだだけではないか」といった皮肉交じりの言説が散見されます。しかし、これは昭和カルチャーの文脈と当時の興行実態を無視した重大な誤解です。
当時の映画界関係者や伊藤俊也監督の証言によると、『白蛇抄』のオファーがあった時点で小柳ルミ子は歌手としても第一線で活躍を続けており、決して困窮して仕事を選んだわけではありませんでした。むしろ、事務所サイドの慎重論を押し切って出演を決断したのは彼女自身の強烈な意志でした。
また、後に刊行された小柳ルミ子 写真集などにおいても、安易な扇情性を排し、プロフェッショナルなダンサーとしての肉体造形をアートとして提示しています。「見せる」ことに対する彼女の姿勢には、常に自己管理と芸術性への妥協なき美学が一貫して流れています。