髙山清司 生い立ちを振り返ると、その原点は戦後復興期の混乱期にあります。1947年に愛知県津島市で生まれ、若くして裏社会に身を投じた髙山若頭は、名古屋の独立組織であった名神会などを経て、中京地区の名門組織「弘田組」傘下の佐々木一家に加入しました。この若手時代に、後に六代目組長となる司忍(本名・篠田建市)組長と運命的な出会いを果たします。
卓越した実務能力と冷徹なまでの交渉力、そして武闘派としての実行力を併せ持っていた髙山若頭は、組織内で急速に頭角を現していきます。髙山清司 経歴における最大の転換点は、1984年の「弘道会」結成です。三代目山口組の有力直系組長であった弘田武志組長の引退に伴い、司忍組長が初代会長、髙山若頭が若頭として弘道会を旗揚げしました。
1980年代後半から1990年代にかけて、弘道会は中京地区の覇権を確立するだけでなく、徹底した規律と経済活動の多角化を推進。警察の取り締まりに屈しない「完全黙秘」の徹底や、企業舎弟を通じた強固な資金源の構築など、近代ヤクザ組織としてのモデルを完成させました。2005年、司忍会長が六代目山口組組長に登極すると、髙山若頭は弘道会 会長(二代目)を継承すると同時に、六代目山口組 若頭に就任。山口組の全権を司るナンバー2として中央の表舞台へと躍り出たのです。