国家滅亡の危機感を抱いた清の第8代皇帝・道光帝は、1838年、剛直な官僚として名高かった林則徐(りんそくじょ)を欽差大臣(特命全権大臣)に任命し、密貿易の拠点である広州へ派遣しました。林則徐の役割は、アヘン密輸を根絶し国家財政を立て直すことでした。
林則徐は現地に着任するや否や、妥協なき強硬策を実行に移します。イギリス商人らが滞在する商館を軍隊で包囲・封鎖し、密輸業者に対して手持ちのアヘンをすべて差し出すよう要求しました。林則徐は回収した2万箱以上(約1,400トン)におよぶアヘンを、広州近郊の虎門海岸に掘った巨大な池に投入し、塩と生石灰を混ぜて化学分解させた上で完全に海洋へ廃棄・処分したのです。
さらに林則徐は、イギリスのヴィクトリア女王へ宛てた直訴状をしたため、「貴国においてアヘン吸引は厳禁されていると聞く。自国で禁じている毒物を、なぜ他国に持ち込んで民を害するのか」と、痛烈な道義的批判を突きつけました。しかし、この手紙が女王に直接届くことはありませんでした。
巨額のアヘンを破壊されたイギリス商人たちは本国へ猛抗議を行い、当時の外相パーマストンはこれを「大英帝国の自由貿易と国民の財産に対する侵害」と位置づけ、清への軍事遠征軍の派遣を決定します。1840年6月、最新鋭の蒸気軍艦や戦列艦からなるイギリス艦隊40隻以上が中国沿岸に姿を現し、阿片戦争の火蓋が切って落とされました。