物語のクライマックスにおいて、トンイは息子の延礽君(ヨニングン/後の第21代国王・英祖)を王位継承者として王宮に残し、自らは宮殿を出て市井の貧しい民のために生きる決断を下します。王宮の外で小さな私邸を構え、庶民の訴えに耳を傾けるトンイのもとを、お忍びの粛宗が笑顔で訪れるというラストシーンは、身分を超えた真実の愛の結実として語り継がれてきました。しかし、トンイあらすじ結末の爽やかなカタルシスと、トンイ実話歴史背景が物語る冷徹な記録には、著しい隔たりが存在します。
史実における粛宗とトンイの関係は、単なるロマンスでは片付けられない過酷な政治力学に支配されていました。1701年、仁顕王妃が病没した直後、粛宗に対して「チャン・ヒビンが神堂を設けて仁顕王妃を呪詛していた」と告発したのは、他ならぬ淑嬪崔氏(トンイ)本人であったと『粛宗実録』に記されています。この告発によってチャン・ヒビンは処刑へと追いやられましたが、粛宗はその直後、「今後、後宮の側室が正妃(王妃)に昇格することを永久に禁止する」という厳命を下しました。
この法改定により、トンイ自身が王妃の座に就く道は完全に絶たれました。さらに粛宗は、淑嬪崔氏の実家である崔一族や支援勢力の専横を恐れ、彼女を王宮から退去させて「梨峴宮(イヒョングン)」に居住させました。これはドラマで描かれたような「自発的な退宮」ではなく、王権強化のために王室の勢力均衡を図る粛宗の冷徹な政治判断による追放劇に近いものでした。権謀術数が渦巻く李氏朝鮮の宮廷において、愛と政治の境界線は常に血塗られた緊張関係の中にあったのです。