とちの実せんべいの核となる「栃の実」は、トチノキ科の落葉広葉樹が秋に実らせる木の実です。見た目は栗に酷似していますが、生の状態では強い渋み成分であるサポニンやタンニンを大量に含んでおり、そのままでは鳥やネズミでさえ口にすることができません。人が食べられる状態にするには、数千年前の縄文時代から連綿と受け継がれてきた「栃の実のあく抜き伝統製法」を忠実に踏襲する必要があります。
その工程は驚くほど過酷で時間を要するものです。秋に山から拾い集めた栃の実を天日干しし、数日間の水浸けで皮を柔らかくして鬼皮を剥きます。その後、厳選した木灰(栃の灰や樫の灰)を混ぜた熱湯に浸け、温度管理を徹底しながら数週間から1ヶ月近く寝かせることで、ようやく強烈なアクが抜けていきます。水が清らかな飛騨の自然環境と、職人の長年の勘がなければ成立しない、日本屈指の高度な加工技術です。
あく抜きを終えた栃の実は、細かく粉砕されて生地に練り込まれます。原材料は極めてシンプルで、小麦粉、砂糖、卵、そして栃の実。余計な香料や保存料に頼らないからこそ、栃の実本来の野性味あふれる香りと、卵と砂糖による素朴な甘みのバランスが際立ちます。硬めに焼き上げられたパリッとした歯ごたえを噛み砕くたび、飛騨の山々が育んだ滋味が口いっぱいに広がります。