スピードスキーが最も世界的な注目を集めたのは、1992年フランス・アルベールビル冬季オリンピックでした。この大会でスピードスキーは公開競技として正式に採用され、テレビ中継を通じてその近未来的なスーツと猛烈なスピードが世界中に放映されました。フランスのレ・ザルクで開催された競技では、ミカエル・プリューファー選手が当時の世界新記録となる時速229.299kmを樹立し、ゴールドメダルを獲得。正式種目への昇格は確実視されていました。
しかし、その華々しい熱狂の裏で、取り返しのつかない悲劇が発生します。公開競技の公式トレーニング中、スイス代表のニコラ・ボシャテー(Nicolas Bochatay)選手がコース外でウォーミングアップを行っていた際、ブラインドコーナーの先で作業中だったゲレンデ圧雪車(スノーキャット)と衝突。27歳の若さで命を落とすという痛ましい死亡事故が起きてしまったのです。
この事故自体は競技滑走中ではなくコース外での移動中に起きたものでしたが、「時速200kmを超える競技の危険性」に対する世論の懸念と国際オリンピック委員会(IOC)の危機管理意識を決定づけることになりました。結果として、安全管理体制への疑問視や保険・医療体制の負担過多を理由に、スピードスキーがオリンピックの正式種目に採用される道は閉ざされることとなりました。以降、スピードスキーはIOCの管轄を離れ、FISが統括するワールドカップサーキットとして独自の厳密な安全基準を再構築していくことになります。