雑誌の顔として頂点を極めた阿部寛がなぜ俳優への転身を図ったのか。その背景には、モデルという職業特有の年齢的な限界への危機感がありました。「20代半ばを過ぎてモデル一本で生き残るのは難しい」と考えた彼は、1987年に映画『はいからさんが通る』で南野陽子の相手役として銀幕デビューを飾ります。
華々しいスタートに見えた役者人生でしたが、待ち受けていたのは過酷な現実でした。当時のテレビ界・映画界において、阿部寛の身長(189cm)は致命的なデメリットとして扱われたのです。当時の日本人女優や男性共演者との身長差が大きすぎ、カメラフレームに収まりにくいという技術的制約から、キャスティング会議で敬遠される事態が頻発しました。
さらに「モデル上がりの大根役者」というステレオタイプな偏見が重なり、20代後半にはテレビの仕事が激減。パチンコ店通いで時間を潰す日々が続いたと、本人が後年のインタビューで告白しています。加えてバブル期のマンション投資失敗による莫大な借金を背負うなど、まさに人生のどん底を味わうこととなりました。