本作が30年以上の歳月を経ても古びない最大の理由は、文学的な歌詞世界と、ギタリストをも唸らせる構築美に満ちたコード進行にあります。
作詞・作曲ともに高野自身が手がけた歌詞は、一見すると爽快なドライビングソングや恋人たちの逃避行を描いたポップソングに聴こえます。しかし、テキストを深く読み解くと、バブル経済に踊る都市の狂騒に対する違和感と、他者と真に通じ合える場所(=虹の都)を希求する切実な祈りが浮かび上がってきます。「君と僕はいつでもここで」「見知らぬ街へ逃げ出そう」というフレーズは、画一化された日常から精神的に脱出するための密やかな合図であり、孤独を抱える現代人の心にもリアルタイムで響く普遍性を内包しています。
また、プレイヤー視点において注目すべきは、その独特なギターのコードワークです。一般的なアコースティックポップスが基本のローコードを多用するのに対し、本作はカポタスト(2フレット装着が基本形)を用いながら、開放弦の響きを活かしたテンションコードや分数コードが効果的に散りばめられています。イントロの印象的なアコースティックギターのコードチェンジ(キーA実音に対するGフォームの響きなど)は、メジャーセブンスの浮遊感と相まって、リスナーの耳に「どこか遠い異国」を想起させる透明感をもたらしています。
動画配信プラットフォーム等で確認できる当時の貴重なライブ動画(1990年年末にMZA有明で開催された「Neo Acoustic Friends」など)を観ると、ステージ上で高野が正確なタイム感でギターをストロークしながら、一切ブレのない透明感あふれるボーカルを披露している様子が確認できます。デジタル補正が一切効かない生演奏の現場において、この完成度を叩き出していた事実こそが、本物の音楽家としての力量を証明しています。