玉置浩二は生涯で4回の入籍歴(結婚歴)を持ちます。また、入籍には至らなかったものの芸能史に深く刻まれた大恋愛もありました。天才ゆえの繊細さと激しい情熱が交錯した歴代妻との関係性を、以下の客観比較データで整理します。
1人目の妻:下積み時代を共にした北海道出身の一般女性
玉置浩二が最初に結婚したのは、安全地帯が「ワインレッドの心」(1983年)で社会現象を巻き起こす直前の1983年でした。お相手は故郷・北海道旭川時代から玉置を支えていた一般女性です。しかし、デビュー直後の爆発的ヒットによって生活環境は一変。全国ツアーやメディア露出に追われる中、後述する女優・石原真理子との激しい不倫交際が発覚し、1986年に協議離婚に至りました。
2人目の妻:トップ女優・薬師丸ひろ子との華やかな結婚と離婚劇
1991年1月、玉置浩二は映画界のトップスターであった薬師丸ひろ子とハワイで挙式し、日本中を驚かせました。シングル「胸の振子」(1987年)の楽曲提供をきっかけに交際がスタートし、ビッグカップルの誕生として祝福されました。
しかし、家庭に入って穏やかな暮らしを望む側面もあった薬師丸ひろ子に対し、玉置浩二の音楽への憑依的な没頭や、夜型の生活サイクル、感情の起伏によるすれ違いが次第に表面化します。1998年6月、薬師丸ひろ子の34歳の誕生日パーティーの席上、2人は突如として離婚を発表しました。玉置浩二が「今日で別れます」と自らマイクを握って宣言したこの「離婚パーティー」は、互いの尊厳を守るための前代未聞のケジメとして語り継がれています。
3人目の妻:音楽の理解者・キーボーディスト安藤さと子
薬師丸ひろ子との離婚翌年である1999年、玉置浩二のツアーバンドでキーボードを担当していたミュージシャンの安藤さと子と再婚しました。長野県・軽井沢に拠点を移し、自然に囲まれた環境で名曲「田園」以降の穏やかな楽曲制作を共にしました。音楽的な深い共鳴によって約8年間続いた婚姻生活でしたが、公私にわたり常に玉置の激しい情動を受け止め続ける中で心労が重なり、2007年に円満な合意のもと離婚届が提出されました。
石原真理子との愛憎劇と婚姻届不受理の真相
玉置浩二の女性遍歴を語る上で外せないのが女優・石原真理子(現・石原真理)の存在です。1985年の不倫交際発覚時、双方の感情がぶつかり合う激しい関係はワイドショーを席巻しました。その後、一度は完全に決別したものの、2009年2月に約23年ぶりの復縁を発表。手をつないで成田空港に現れる姿は列島に衝撃を与えました。
婚姻届を提出したものの、石原真理子が過去に結婚したアメリカ人男性との離婚手続きが法的に完了していなかったため、日本の自治体で不受理となる異例の事態が発生。その後、わずか半年足らずで関係は急速に冷え込み、事実上の破局を迎えました。この混乱と精神的打撃の直後、玉置浩二の前に現れたのが青田典子でした。