長大な洗礼名を授かった少年は、やがて美術史を根底から覆す巨匠へと成長します。美術教師であった父ホセの指導を受け、幼少期から驚異的なデッサン力を発揮したピカソの画業は、常に自己破壊と革新の連続でした。
「ルイス」を捨て「ピカソ」を名乗った心理的背景
画壇へ進出した初期、彼は「パブロ・ルイス・ピカソ」と署名していましたが、20代を迎える頃には父の姓である「ルイス」を削り、単に「Picasso(ピカソ)」とだけサインするようになります。
スペイン国内にありふれた姓であった「ルイス(Ruiz)」に対し、母マリアの旧姓「ピカソ(Picasso)」は、イタリア・ジェノヴァ地方にルーツを持つ珍しい響きを持っていました。美術史家の研究や本人の回想録によると、ピカソは「二重のSを持つPicassoという響きには、異国情緒と力強さがある」と語っており、父の庇護からの脱却と、唯一無二の存在として自己をプロデュースする強烈な意志が働いていたことが窺えます。
時代を画した変遷と代表作
ピカソは生涯でおよそ5万点以上の作品を遺し、「最も多作な画家」としてギネス世界記録にも認定されています。その作風はめまぐるしく変化しました。
- 青の時代(1901–1904):親友の自殺を機に、貧困や孤独を深い青色で描いた初期の代表作『人生』『老いたギタリスト』。
- キュビスムの誕生(1907–1914):対象を複数の視点から幾何学的に解体・再構成した『アビニヨンの娘たち』。西洋絵画の遠近法を根底から覆す。
- 反戦のモニュメント(1937):無差別爆撃を受けたスペインの小都市を描いた大作『ゲルニカ』。人類の不条理を告発した不朽の傑作。