高校卒業後、ディーン・フジオカは単身アメリカ・シアトルへ留学します。現地のコミュニティ・カレッジでITやビジネスを専攻し、カレッジ卒業後はアメリカでの就職を目指していました。しかし、2001年に発生したアメリカ同時多発テロ(9.11)の影響で外国人に対する就労ビザの発給基準が劇的に厳格化。卒業後の進路を絶たれるという、最初の大きな挫折を味わいます。
ビザの期限が迫る中、彼は手元にあったわずかな資金を握りしめ、バックパッカーとしてアジア放浪の旅に出ます。タイ、ベトナム、カンボジアなどを巡り、最後にたどり着いたのが香港でした。当時の預金残高は底をつきかけ、日々の食費にも事欠く極限状態。現地ではクラブカルチャーに飛び込み、ヒップホップのMCやラップ、詩の朗読(ポエトリーリーディング)を披露しながら日銭を稼ぐ日々を送っていました。
転機が訪れたのは2004年。香港のクラブでパフォーマンスをしていた際、客席にいたファッション誌の編集者から「雑誌のモデルをやらないか」と声をかけられます。これがディーン・フジオカのモデル時代の始まりでした。香港のストリートファッション誌や広告に起用されると、東洋的な涼やかさと西洋的なモダンさを兼ね備えたビジュアルが瞬く間に話題となり、ストリートカルチャーの寵児として認知を広げていきます。
さらにその存在に目を留めたのが、台湾の敏腕プロデューサーである柴智屏(アンジー・チャイ)氏でした。彼女に見出されたディーンは活躍の場を台湾へと移し、本格的に俳優活動を開始。2006年の映画『八月の物語』で主演デビューを果たし、その後ドラマ『極道学園』や『ホントの恋の見つけかた(原題:轉角*遇到愛)』、2008年の『不良笑花』など、数々のヒット作へ出演を重ねました。デビュー当時の画像や映像を振り返ると、現在の落ち着いた紳士的な佇まいとは対照的に、どこか尖った憂いと危うさを秘めたエネルギッシュな美少年ぶりが際立っています。