人気絶頂期にあった1991年、加勢さんは所属事務所との間でマネジメント方針や金銭面を巡る対立から独立を画策します。これに対し、前所属事務所側が「加勢大周」の芸名使用禁止を求めて裁判所に仮処分を申請するという、前代未聞の「芸名裁判」が勃発しました。
この騒動をさらに加熱させたのが、事務所側が当てつけのようにデビューさせた「新加勢大周」(のちに坂本一生に改名)の存在です。同一の芸名に「新」を冠した新人をデビューさせるという異例の報復劇は、連日ワイドショーで大々的に報道され、社会現象と化しました。
最終的に司法は加勢さん側の芸名使用を認める判断を下し、法的な決着はついたものの、この長期にわたる法廷闘争は加勢さんの心身に深刻な疲弊をもたらしました。既存の芸能事務所システムと個人の自己決定権の衝突というテーマは、日本の芸能界における構造的課題を白日の下に晒す契機となったのです。