外からは順風満帆に見える名門の親子関係ですが、中村梅雀の若い頃は「中村梅之助の息子」「三代目翫右衛門の孫」という重厚な看板との闘いの日々でした。
劇団前進座は、伝統的な歌舞伎界の門閥制度を否定し、全員一致の集団合議制を掲げて結成された劇団です。それゆえに、創立者の孫であり看板役者の息子である梅雀には、一般の劇団員以上に「身内贔屓」と見られないための厳しい試練が課せられました。舞台袖で父から怒号を浴びせられることも日常茶飯事であり、手記や過去のインタビューでも「若い頃は父の視線が何よりも怖く、息が詰まる思いだった」と述懐しています。
転機となったのは、1995年のNHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』での徳川家重役への抜擢でした。言語障害と身体麻痺を抱えながらも聡明さを秘めた難役を圧倒的なリアリティで怪演し、第33回ギャラクシー賞優秀賞を受賞。「梅之助の息子」ではなく「怪優・中村梅雀」として全国にその実力を知らしめた瞬間でした。
そして2007年、51歳の時に40年以上所属した前進座を退団する決断を下します。劇団の象徴であった父・梅之助の体調不安や劇団の将来を巡り、周囲からは大きな驚きと憶測を呼びましたが、父・梅之助は息子の独り立ちを静かに受け入れ、背中を押したと伝えられています。2016年に父が肺炎のため85歳で旅立った際、梅雀は「役者としての基礎をすべて叩き込んでくれた。感謝しかない」と深甚なる追悼の言葉を捧げました。