肥後細川家のルーツは清和源氏にさかのぼり、室町時代には三管領の一つとして幕政の中枢を担った。吉野川の流れる三河国細川郷を発祥とし、足利尊氏の挙兵を支えて以来、常に武家社会の権力中枢に君臨し続けた背景がある。政権が移り変わるたびに多くの名門が没落していったなかで、細川家だけがなぜ生き残ることができたのか。
江戸時代に入ると、細川家は加藤清正の後の肥後国に入封し、熊本藩54万石の藩主として確固たる地位を築いた。水前寺成趣園に代表される豊かな文化を育みつつ、幕府との関係を巧みに維持した政治手腕は見事というほかない。明治維新後も伯爵の爵位を授かり、華族としてその格式を保ち続けた。文武両道を重んじる独自の家風は、現代の当主に至るまで途切れることなく受け継がれている。