川越の菓子作りの起源は、明治初期に鈴木藤左衛門が養寿院の門前町で駄菓子を製造したことに始まります。その後、大正12年(1923年)の関東大震災によって壊滅的打撃を受けた東京の下町に代わり、千歳飴やカルメ焼きなどの駄菓子を供給する拠点として急速に発展しました。昭和初期の最盛期には70軒以上の菓子製造・卸業者がひしめき合い、全国津々浦々に甘い幸せを届けていた歴史があります。
時代の移り変わりとともに店舗数は減少したものの、平成13年(2001年)にはその漂う甘い香り立ちが評価され、環境省の「かおり風景100選」に選定されました。しかし、2015年6月に横丁の一角から出火した火災により、店舗や住宅など計5棟が全焼・半焼するという大きな試練に見舞われます。
長年親しまれてきた景観の喪失に多くのファンが心を痛めましたが、地元の店主会や川越市、伝統建築の専門家が連携し、「火災に強く、かつ歴史情緒を損なわないまちづくり」を掲げて復興プロジェクトが始動しました。耐火性能を備えつつ土壁風の左官仕上げや格子戸をあしらった伝統的木造建築が再建され、現在では失われかけた温もりのある石畳の路地景観が見事によみがえっています。