なぜ、そこまでして頭を浮かせて眠らなければならなかったのでしょうか。その核心にあるのが、江戸時代中期以降に爆発的な発展を遂げた「日本髪文化」と、庶民の切実な経済・衛生事情です。 江戸時代、女性の髪型は身分や年齢、未婚・既婚によって数十種類にも細分化され、びん付け油で念入りに固める複雑な造形美へと進化しました。しかし、当時の洗髪は現代のように毎日行えるものではありませんでした。米ぬかや粘土鉱物(うどん粉や白粉の原料)を用いた洗髪は大変な重労働であり、髪を解いて洗って乾かし、再び髪結い(美容師)に結ってもらうには多額の費用と半日仕事の時間がかかりました。 記録によると、庶民の女性が髪を洗う頻度は月に1回から2回程度。プロの髪結いに頼めば1回あたり数十文から百文以上の出費となり、長屋暮らしの家計にとっては決して軽視できないコストでした。つまり、一度結った日本髪は「最低でも1週間、長ければ2週間は絶対に崩してはならない資産」だったのです。 この生活防衛の要請から誕生したのが箱枕でした。寝返りを打って横を向いても、左右の「鬢(びん)」や後頭部の「髹(たぼ)」が敷布団に擦れないよう、枕の両端を削ぎ落としたり高さを稼いだりする工夫が凝らされました。 当時の寝室事情もまた、枕の進化を後押ししました。江戸の長屋は「九間十間(約9尺×2間=約3坪)」という極めて狭小な空間に家族全員が身を寄せて暮らしていました。夜になれば限られた畳の上に隙間なく布団を敷く「雑魚寝」が日常です。寝返りを激しく打てば隣で寝ている家族の頭を蹴飛ばしかねない環境において、首を固定してまっすぐ上を向いて静かに眠る所作は、狭い長屋で平和に共生するための生活規範でもあったのです。女性たちは幼少期から「寝相の良さ」を行儀作法として厳しく躾けられ、箱枕はその規律を身体に刻み込む矯正器具の役割も担っていました。
江戸の箱枕、なぜあんなに硬い?眠れた理由に驚愕
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