日野日出志の作品に漂う「生と死の濃密な匂い」は、どこから生み出されたのか。その経歴を遡ると、幼少期に体験した過酷な歴史的現実に直面します。
終戦直前の旧満州(現・中国東北部)チチハル市に生まれた日野は、生後間もなく敗戦を迎えました。開拓民としての過酷な逃避行、乳幼児が次々と命を落とす飢餓と極限状況の中、母親の背に背負われて奇跡的に引き揚げ船で日本本土へと生還。東京の下町で育ちました。当時の手記や公式インタビューにおいて日野本人は、記憶の底にある「地獄のような引き揚げの情景」や「泥水と死の恐怖」が、後の怪奇漫画を描く衝動の原風景になったと繰り返し回顧しています。
高校卒業後、映画監督を志しながら漫画を描き始め、1967年にプロへの第一歩を踏み出します。注目すべきは、手塚治虫が創刊した実験的漫画誌『COM』に本名で投稿作が掲載された直後、白土三平らを擁する前衛漫画誌『ガロ』において「日野日出志」のペンネームで再デビューを果たした点です。当時の漫画界を二分していたライバル誌の双方から同時期に世に出た作家は極めて異例であり、その圧倒的な異能ぶりはデビュー当初から際立っていました。