駅舎が見事な再生を遂げたからこそ、改めて振り返るべきは「なぜこの鉄路が失われなければならなかったのか」という現実です。留萌本線 廃線理由の根底にあったのは、地方過疎化とモータリゼーションの進行に伴う絶望的な利用客減少でした。
増毛駅 歴史と経緯を紐解くと、開業は大正10年(1921年)11月。かつて日本海沿岸を席巻したニシン漁の黄金期、増毛港に揚がった莫大な水産物や天塩山地の豊かな木材を本州や全国へ運ぶための大動脈として建設されました。電報略号は「マケ」、事務管理コードは「121513」。昭和中盤までは大勢の漁業関係者、商人、地元住民の歓声がホームにこだましていました。
しかし、昭和後期におけるニシン漁の衰退、沿岸炭鉱の相次ぐ閉山、さらに国道231号の整備によって、地域の足は完全に自家用車と路線バスへ移行します。JR北海道が公表したデータによると、廃線直前の留萌—増毛間の輸送密度(1日1キロあたりの平均通過人数)はわずか数十人規模まで落ち込み、100円の営業収益を得るために数千円の経費がかかるという極端な営業係数を記録していました。
さらに追い打ちをかけたのが、断崖絶壁と海に挟まれた過酷な地形です。冬期の豪雪や雪崩、春先の融雪に伴う土砂崩れが頻発し、斜面対策や除雪に莫大な維持管理費が投じられ続けました。安全確保のための運休が日常化し、通学客の利用すら困難になる悪循環の末、沿線自治体とJR北海道の協議を経て、2016年12月に95年に及ぶ鉄路の歴史に終止符が打たれました。