世田谷城主・吉良政忠が文明12年(1480年)に叔母の菩提を弔うために開基した「弘徳院」が、豪徳寺の前身です。当初は臨済宗に属する小さな草庵でしたが、天正12年(1584年)に曹洞宗へと改宗。転機が訪れたのは寛永10年(1633年)、世田谷が近江彦根藩の領地となった時代でした。
ある日、鷹狩りの帰途にあった彦根藩第2代藩主・井伊直孝が寺の前を通りかかったところ、門前にいた1匹の白猫が前脚を上げ、まるで手招きをするような仕草を見せました。直孝がその導きに従って境内へ入り、住職と茶を酌み交わしながら談笑していたその瞬間、空がにわかに掻き曇り、激しい雷雨が襲いました。雨宿りができただけでなく、落雷の難を逃れた直孝は「猫の招きによって難を逃れ、尊い教えに出会えた」と深く感謝。荒れ果てていた寺に多額の寄進を行い、井伊家の江戸における菩提寺に指定したのです。
寺ではこの猫を「福を招くめでたい猫」として崇め、後世になって「招福猫児(まねぎねこ)」と名付けて祀る「招福殿」を建立しました。これが、日本全国に広まった招き猫の発祥伝説の一つです。
ネット上では「豪徳寺の招き猫はなぜあんなに密集しているのか?」「寺が並べているアート展示ではないのか?」という疑問の声が散見されます。しかし、現実は異なります。参拝者が招福猫児を授かって自宅に持ち帰り、所願成就した後に「お礼参り」として境内の返納所に納めるため、あのような壮観な密度が生まれているのです。SNSや現地調査でも「整然と並ぶ猫の一体一体に、誰かの願いが叶った証が宿っていると思うと鳥肌が立つ」という敬虔な受け止めが広がっています。