ドリフターズが歩んできた軌跡を振り返る上で避けて通れないのが、旅立っていった戦友たちとの悲しい別れです。日本のエンターテインメント界に巨大な穴を空けたメンバーたちの最期と経緯を、事実に基づき正しく整理します。
いかりや長介さんの死因:病魔と闘い抜いた名リーダーの最後
ザ・ドリフターズの絶対的リーダーであり、厳格な父親的存在だったいかりや長介さんの死因は、原発不明頸部リンパ節がんでした。2003年に首のしこりに気づき入院加療を続けていましたが、2004年3月20日に72歳で逝去。晩年は名バイプレイヤーとして数々の映画やドラマで活躍し、日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞するなど、俳優としても頂点を極めました。いかりやさんの訃報に際し、メンバー全員が呆然自失となり、加藤茶さんが葬儀で読み上げた「あなたがいて僕たちがいた」という弔辞は日本中の涙を誘いました。
志村けんさんの没年:日本中を震撼させたコロナ禍の別れ
志村けんさんの没年は2020年(令和2年)3月29日、70歳での急逝でした。死因は新型コロナウイルス感染症に伴う肺炎。未知のウイルスが世界を覆い始めた初期、感染判明からわずか数日で帰らぬ人となったニュースは、日本社会に計り知れない衝撃と恐怖を与えました。面会すら許されず、骨壺に納められて自宅へ戻るというあまりにも過酷な別れは、日本全体が感染症の脅威を痛感する決定的な契機となりました。
仲本工事さんの逝去経緯:あまりにも突然だった街頭の悲劇
体操コントで抜群の身のこなしを見せ、優しい笑顔で親しまれた仲本工事さんの逝去経緯は、2022年10月18日に横浜市西区の交差点(横断歩道のない歩行者横断禁止場所)を横断中に乗用車にはねられた交通事故でした。頭部を強打した仲本さんは神奈川県内の病院へ緊急搬送され、開頭手術を受けましたが、翌10月19日午後10時22分、急性硬膜下血腫のため81歳で息を引き取りました。直前まで舞台出演や音楽活動に精力的に取り組んでいただけに、その突然すぎる別れに関係者やファンは深い悲痛に包まれました。
荒井注さんの旅立ち:脱退後に遺した温かい絆
志村けんさんの加入前にドリフの中核を担い、「ディス・イズ・ア・ペン」「何だバカヤロー」の名フレーズで一世を風靡した荒井注さんは、体力の限界を理由に1974年にグループを脱退。その後は俳優として活動しましたが、2000年2月9日、静岡県伊東市の別荘の浴室で急性心不全のため71歳で倒れ、急逝されました。脱退後もメンバーとの交流は続き、互いを尊重し合う関係が維持されていました。